●「恐れ」と「愛」は表裏一体
そもそも、恐れの正体は何でしょうか?
ひと言でいえば「愛」です。
「!」と思ったでしょうか。
どういうことなのか、解説します。
たとえば、
「なぜ自分は恐れているんだろう」
という理由を見つめていったときに、
親に叱られることを恐れていると気づいたとします。
そうしたら、その未来をイメージしてみてください。
「親に叱られる」
「親を悲しませる」
「親に冷たくされる」
このような未来の予測を立てたとき、
その奥にあるのは、こういった気持ちではないでしょうか。
「親からほめられたい」
「親とよりよい関係性を築きたい」
「親との関係性をよくしたい」
ではそもそも、なぜ親との関係をよりよくしたいのかというと、
親が好きで、親を愛しているからです。
親を愛しているからこそ、親をがっかりさせたくない。
だから、親から叱られるのが怖いのです。
これが近所に住む人だったら、がっかりされて、
悲しくても、すぐに忘れてしまうでしょう。
「親を愛している。親だから大事にしたい。親だから大事にされたい…」
このような愛があることがわかったら、
叱られることを恐れるのは当たり前だとわかりますよね。
愛する人から叱られるのが怖いのは、当たり前のことです。
これがわかると、こんな気持ちがわいてきませんか?
「じゃあ、別に恐れていいんだ」
「この恐れは、親への愛情の裏返しなんだ」
恐れと愛情はセット。
恐れは愛であり、愛は恐れなのです。
恐れが愛だとしたら、気持ちがラクになりませんか?
小学生ではこう考えることはできませんが、
大人であればできますよね。

●さまざまな表現で愛を伝える
人はさまざまな表現から、愛を感じることができます。
作詞家、音楽プロデューサーの秋元康さんは、
「愛しています」を別の表現で、
どれだけ言葉にできるのか考えながら作詞するそうです。
「愛しています」を「ろうそくの炎が消えるまでに〇〇〇」というように、
違う言葉で言い換えることが、作詞なのだそうです。
なぜ人が怖い小説や映画に感動するのかというと、
その根底にある愛や「生きていたい」という強い欲求を感じるからです。
愛には、本当にさまざまな表現方法があるのです。
愛と恐れは表裏一体なものですから、
「愛している」という表現よりも、
「恐れている」という表現のほうが、より刺さるのかもしれませんね。
●6位から生まれるドラマもある
順位が6位の場合も、人を感動させてくれます。
6位であるということは、とてもショックなことですが、
3位ではなんとなくつまらないと感じたりしませんか?
3位であれば、別にほめられも叱られもしません。
6位のほうがドラマになるのです。
「1位も6位も全部一緒です」
と言って、みんなが一緒になってしまっては、
何もドラマは生まれません。
6位になって落ち込み、親に叱られてがっかりして、
一念発起し勉強をがんばる…。
ここに、人間のドラマがあるのです。
6位になったときのがっかりした気持ちや、
恐れの感情の裏側を見てみると、かならず愛があります。
プレッシャーのなかにある恐れをしっかり見て、愛に気づけると、
自然と恐れもなくなっていくでしょう。
