■平穏が「しあわせ」ではない
そもそも、「不安」がなくなるとしあわせになれるのでしょうか?
答えはNOです。
先ほどお話ししたように、「不安」は人が生きていくうえで必要な危機管理能力。
なくしてはいけないもの、なくならないものです。
もし不安がなくなると、かえってしあわせをつかめなくなってしまうかもしれません。
たとえば、「問題が何もなくて、苦しみも何もない状態=しあわせ」と思っている人がいるとしましょう。
その人は、死ぬまで「しあわせ」を手に入れることができません。
第一に、人はただただ平穏に生きていると退屈になってしまいます。
「何もない」ということが、「つまらない。退屈だ…」という苦しみに変わってしまうのです。
ですから、「平穏=しあわせ」は絶対に実現ができません。
でも、多くの人がこの点を勘違いして、苦しんでいるのです。
実現できない「しあわせ」を追い求めるのではなく、実現できる「しあわせ」に目を向けて、どうしたらそうなっていけるのかを考えていきましょう。
■不安がなくなると自分が困る
仮に、「不安」を感じなくなった場合を考えてみましょう。
これは「未来に対する危機管理能力がなくなる」ということです。
不安を感じられない人は、「これをしたらマズい」と気づくことができなくなります。
人にすすめられたものを何でも買ってしまったり、会社の危機を感じられず、勤めている会社が倒産してしまうかもしれません。
パートナーにやりたい放題をしていて、ある日、帰ったら「パートナーがいない!?」「部屋の家具がない!?」という状況に陥る可能性もあります。
人が裏切る予兆にも気づけないので、裏切られ続けるかもしれません…。
このように、不安を感じる力がない人は、人からだまされやすいため、やがて自分の判断に自信がなくなります。
でも、事前に不安を感じて気づくことができないので、それを防ぐには、何もかもすべて疑うしかありません。
結果、苦しい人生になってしまう人も多いでしょう。
これは大変です。
不安を感じる力がないと、誰でもこうなってしまう可能性があるのです。
■不安を感じなければ自分を守れない
不安を感じられない人は、まず「これを買ったらマズいかも」という予測不安を感じることができません。
でも、買ったあとの「叱られる恐怖」はわかります。
そして、叱られることで自分の判断能力にどんどん自がなくなっていくのです。
自分には理解できない理由で叱られていると、生きることがどんどん苦しくなってしまうでしょう。
これは、発達障がいの人の悩みとも似ています。
発達障がいの人は、人と違うことをしていても、その違いが理解できません。
そのため、叱られる理由がわからず、「みんなと同じことをしているのに、どうして?」と自分を信じられなくなっていってしまうのです。
このように「不安を感じられない」「不安を理解できない」ことで、自信を失ってしまうことや、自分を信じられなくなることもあります。
「不安がない」ことで、苦しく不幸な人生になってしまうのです。
「不安を感じない」のは「自分を守れない」ということ。
そういった困った事態にならないように、本来、不安はなくならないようになっているのです。